今から、40年以上も前である1968年(昭和43年)6月16日
横須賀発東京行(113系)にて無差別爆破事件である
「横須賀線電車爆破事件」が発生。

父の日に起きた惨劇でした。

横須賀線爆破事件 犯人113系2000番台(2007年撮影)

出典:Wikipedia

電車が大船駅に差し掛かろうとした午後3時頃、10両編成の
前方から6両目で突然爆破が起き、30歳の会社員男性が死亡。
7名が重傷・28名が軽傷を負いました。

亡くなった男性には妻子がおり、翌日の新聞には遺族の
悲痛な叫びも掲載されていました。

捜査の結果、犯人は東京都・日野市に住む大工
若松善紀(わかまつよしき)当時25歳と判明。

動機は、「結婚を約束していた女性に逃げられた、腹いせに
彼女がよく利用していた横須賀線を爆破する事でした。」
※その女性は電車には乗っていませんでした。

若松善紀は、1943年山形県で生まれました。
父親は若松が赤ん坊の頃、戦死。

そして若松が5歳前後になる頃、Mという少女に出会いました。
Mの父親は窃盗事件を起こし刑務所に入っており母と2人暮らしでした。

若松の家庭は貧しく、本人は高校進学を考えていましたが
母親の反対により断念し見習い大工として働き始めます。

そして若松が23歳頃、Mと再会し、親密になり同棲を開始。
結婚も約束していました。

しかしMの父親が犯罪者との事で若松の母が結婚に反対。
そんな中、若松と同じ工務店で務めている男性に
Mが若松との事を相談しているうちに、その男性とMが親密な関係に。

それがきっかけとなり若松とMは別れることになり、
今まで勤めていた工務店から川崎市の工務店へ移り、
家も日野市へと移動しました。

そして事件当日、大雨で仕事が休みとなった若松は
テープレコーダーを使用し、自ら作成した時限爆弾を列車内へ
設置し、事件は起きました。

その後、1969年3月20日、若松は死刑判決を受け、
1975年12月5日に死刑が執行されました。享年32歳でした。

参考記事:yabusaka.moo.jp

なお、若松は純多摩良樹というペンネームで歌人として活動しており、
若松の死後20年経ってから歌集が出版されています。

若松は、真面目な青年だったと言います。
それが何故、無差別に人を傷つける行為へと至ったのでしょうか?

振った彼女を恨み、彼女を傷つける事も許される事ではないですが、
関係の無い多くの人々を巻き込み、結果、子供から父親を奪い、
妻から夫を奪い、多くの人々が重軽傷を負わせた彼の罪は永遠に
消えることはありません。


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