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出典:MSN産経ニュース


1964年の東京オリンピックでバレーボールで金メダルを勝ち取った

「東洋の魔女」の主将だった河西昌枝(かさい まさえ)さんが
脳出血のため都内の病院で亡くなりました。(2013年10月3日)

1964年東京五輪のバレーボール女子で
金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表で主将だった
中村(旧姓河西)昌枝さんが3日午前0時半、死去した。

日本バレーボール協会が親族に確認した。80歳。
山梨県出身。
54年の日紡貝塚発足に合わせ、日紡足利から移籍。
9人制から6人制に切り替えて世界を目指すチームの方針で、
アタッカーからセッターに転向した。

[引用元:http://sankei.jp.msn.com/

河西昌枝さんのご冥福をお祈りします。

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出典:MSN産経ニュース
左は河西昌枝主将

 

河西さんを始めとした、
1964年の東京オリンピック当時の東洋の魔女メンバーは 以下となります。

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出典:http://eiga.com

写真は、2012年の磯部サダさん・篠崎洋子さん・佐々木節子さん・藤本佑子さん

【ポジション セッター兼センター・主将】
河西昌枝 
生年月日: 1933年7月14日 – 2013年10月3日(80歳で死去)
・コーチ兼主将として、優勝に大いに貢献した

【ポジション エース】
 佐々木節子
生年月日: 1944年10月16日(68歳)
・選考会では将来性が評価されてメンバー入りが決定

【ポジション エース】
篠崎洋子
生年月日 1945年1月29日(68歳)
・日紡貝塚のサブメンバーであることが評価されてメンバー入りが決定

【ポジション エース】
渋木綾乃
1941年3月29日(72歳)
・実戦向きなプレーと豊富なキャリアが評価されてメンバー入りが決定

【ポジション レフト】
谷田絹子
生年月日 1939年9月18日(74歳)
・エーススパイカーとして金メダル獲得に大いに貢献

【ポジション レフト】
磯部サダ
 
生年月日: 1944年12月19日 (68歳)
・日本代表チームの最年少メンバー

【ポジション ライト】
宮本恵美子
生年月日 1937年5月10日(76歳)
・1962年の世界選手権では優勝に大きく貢献しMVPを獲得、「世界一のアタッカー」と呼ばれた

【ポジション センター】
半田百合子
生年月日 1940年3月31日(73歳)
・レシーブ、トス、スパイクと三拍子揃った好選手であり、運動神経のよさはチーム随一

【ポジション セッター】
松村勝美
生年月日 1944年3月8日(69歳)
・四天王寺高校在学中は、国体やインターハイで全国優勝4回に貢献

【ポジション 補助】
近藤 雅子
生年月日:1941年3月27日 (72歳 )
・ブロックがうまいことが評価されてメンバー入りが決定

松村好子
生年月日:1941年12月9日

 藤本佑子
生年月日 1943年1月14日(70歳)
・回転レシーブの名手

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東洋の魔女・谷田絹子と淡島千景の関係とは?|フジクラブは国体で優勝

東洋の魔女の練習について

majyo

出典:.asahi.com

「東洋の魔女」が強かった理由は、今では考えられないような猛練習であったと言われています。
未明まで練習し、睡眠3時間で仕事に臨んだ日もあったと言います。

あまりにも練習が厳しすぎて、嘔吐したが、それをすすったという逸話まであります。

 

しかし、その嘔吐物は、ほぼ食べ物などがなく、胃液状態。
(恐らく、それが事実であれば 嘔吐物であってもすすらなければ
脱水症状になるのでそれを防ぐためにすすったのではないかと思われます。)

そこまでの猛練習をして、金メダルを勝ち取り、
50年経った今でも 歴史に残る「東洋の魔女」が生まれました。

そんな「東洋の魔女」の河西昌枝さんが亡くなった事は とても残念ですが、
2020年の東京オリンピックに向けて、バレーボールへ注目が集まりそうですね。


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