武部寛則|貧しいガーナ・アチュワ村をパイナップルで救った日本人


西アフリカに位置するガーナ共和国と日本の絆が深い事はご存知だろうか。
ガーナ共和国で有名な日本人といえば、黄熱病の研究をし、黄熱病が原因で
亡くなった野口英世(のぐち ひでよ)である。

しかし野口英世以上に有名な日本人・武部寛則(たけべひろのり)さんという方がいる。

武部さんは1961年長崎県佐世保市で生まれた。
10歳の時に新聞記事の影響で『アフリカの貧しい人を救いたい』と思うようになった。
大学卒業後、福岡で就職するが、25歳の時に退職し青年海外協力隊に参加。

そして1986年アチュア村に渡った。
武部さんが、アチュア村に着いた時、村は電気もなく水道もない貧しい村であった。
村の人々が自給自足できる程度の作物は栽培していたが、
彼らの貧しい生活を向上させるには不十分であった。

そこで武部さんは、アチュア村の農業改革に乗り出す。
最初は村人から信頼を得られなかった武部さん。
しかし武部さんは諦めず何百回も村人たちと話し合いを重ね農業改革を
進める。

しかし1987年6月に大干ばつがおき主要作物が枯れてしまった。
そこで大干ばつにも負けない作物をつくろうという事になった。
それが『ファンティパイナップル』だ。

武部さんは、村の安定した収入源になるようパイナップルを
村の基幹農業にする事業を始めた。
武部さんが働きかけたところ村の3分の1の村人が手伝ってくれたが
これまで焼畑農業しか行なってこなかった村人にとっては重労働で
サボる村人もいた。

しかし武部さんは過酷な重労働を行ない続けた。1年に3回もマラリアに感染
生死をさ迷ったが、生還すればすぐに畑を耕す日々を送った。

そんな武部さんの姿を見て、サボっていた村人たちも本気で手伝うようになる。

しかし新たな問題が彼らを襲った。資金不足に悩まされたのだ。
武部さんは真っ先に日本大使館に資金の援助を頼みに行くが、
断られてしまった。
しかし、縁もゆかりもない他の国の大使館を回り援助を勝ち取った。

パイナップル栽培に尽力する武部さんは首長から2番目に偉い「長老」という名誉を与えられた。
念願の収穫まで半年を切ったころ、村人が急病になってしまった。

武部さんはトラックで病人を村近くの病院に運ぶ事になった。
しかしトラックが横転し武部さんは病院に搬送されたものの27歳の若さで
亡くなった。武部さんが日本に帰国する直前の事故であった。

村人たちは武部さんの意志を引き継ぎパイナップル栽培を続けた。
年間5000トンの生産量を誇りパイナップルの収益で村の生活も向上。

村の中心には武部さんを知らない若い村人たちにもその存在を教え感謝の気持ちを繋げる為
記念碑が建てられている。

武部寛則 ガーナ記念碑
出典:jica.go.jp

貧しかったアチュア村も現在は大学を卒業する人、エンジニアなどを輩出するまでになった。

武部さんの死後、武部さんの両親はガーナを訪問し保育園に資金を出している。
2008年アチュア村のリーダーはインタビューでこう答えている。
『もし武部さんが村に来なければ、今も我々は暗闇の中に生きていただろう。』と。

参考文献:ありえへん∞世界2014年7月1日放送(TVでた蔵)/jica.go.jp

1人の若き日本人男性の情熱が、約300人の村人の生活を向上させた。
武部さんの熱い情熱と行動力がなければ、
村のリーダーも言っているように現在も村人たちは昔の生活を続けていただろう。

異国で偉業を成し遂げた武部寛則(たけべひろのり)さんの功績はガーナだけでなく
日本でも、もっと称えられるべきものであると思う。


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