菅義偉(すが よしひで)官房長官が、自民党総裁選への出馬を表明したことで菅さんの生い立ちについて気になったので調べてみました。

菅さんは、2世か3世の政治家だと思っていたのですが、生い立ちを調べてみると、イチゴ農家の生まれで、苦労してきた叩き上げの政治家です。

ここでは、菅義偉(すが よしひで)官房長官の若い頃の画像を交えながら、生い立ちについてご紹介していきます。




菅義偉(すが よしひで)の生い立ちはイチゴ農家から

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菅義偉の生家と幼少期について

菅義偉(すが よしひで)さんは、1948年12月6日秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝(おがち)町)に生まれました。

雄勝(おがち)町は、「小野小町の誕生の地」とも言われています。

家族構成は、父・母・姉2人・弟1人の6人兄弟です。

父親の菅和三郎さんは、戦前は南満洲鉄道(みなみまんしゅうてつどう)の職員で、終戦とともに雄勝(おがち)町に引き揚げました。

その後、和三郎さんは、イチゴの栽培を開始し、菅義偉(すが よしひで)さんはイチゴ農家の長男として家の手伝いをしながら高校を卒業されています。

和三郎さんは、「秋の宮いちご」のブランド化に成功し、イチゴ生産出荷組合の組合長となり、雄勝(おがち)町(現・湯沢市)の町会議員も務める地元の名士となります。なお、和三郎さんは2010年に93歳で亡くなられています。

菅義偉(すが よしひで)さんは、そんな父親の背中を見て、無意識のうちに政治の道を志したのかもしれませんね。
母親のタツさんは、元教員で2人の姉も高校教諭となっています。

なお、菅さんが暮らしていた生家には、今も「菅和三郎」の表札がかかっているそうです。




菅義偉の若い頃(小学校-高校まで)

菅義偉(すが よしひで)さんは家の手伝いをしながら、雄勝町立秋ノ宮小学校(現、湯沢市立雄勝小学校)、雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)を卒業します。

中学時代は、野球部に所属しサードで1番打者というスポーツ少年でした。

野球少年だったときの菅さんの画像がネットに出回っています。
興味のある方は、以下よりご覧ください。

菅さんの野球少年時代の画像

 

高校は、自宅に最も近い(とはいっても2時間ほどはかかる)秋田県立湯沢高等学校に入学し、3学年時には「進学組」に所属。

なお、現在の秋田県立湯沢高等学校の偏差値は55ほどです。

当時の菅さんについて小中高の同級生であり、湯沢市議の由利昌司さんはインタビューで以下のように語っています。

「彼は定期購読していたマンガ雑誌をみんなに先に読ませ、自分は後で読んでいた。ガキ大将というのとはちょっと違う。

女のコに声をかけられると真っ赤になる面もあって、けっして自分からは表に出ないんですが、自然と人が集まってくるんです。スポーツは万能。

相撲、野球、バスケ、陸上、スキーの選手に選ばれていましたね」
(引用元:Flash)

菅義偉の若い頃(大学時代)

菅義偉(すが よしひで)さんは、イチゴ農家の長男ということもあり後継として期待されていましたが、周りには中学卒業後に「集団就職」で上京した同級生がおおいこともあり、「東京で自分の力を試してみたい」との思いで家で同然で1967年に上京します。

上京してからは、板橋区の「段ボール工場」に住み込みで働くことになります。

菅さんは当時、「東京に行けば何かいいことがある」と思っていたそうですが、待っていたのは厳しい現実だったと語っています。

段ボール工場での仕事はわずか数ヶ月で辞めてしまったものの「視野を広げるため、大学で学びたい」という思いを抱き、入学金を貯めるため、朝は築地市場で台車運び、夜は新宿の飲食店で皿洗いなどのアルバイトをしながら受験勉強を続け、上京して2年後、「法政大学法学部」に入学します。

 

法政大学法学部を選んだ理由は、当時、学費が最も安かったからとのことです。

 

法政大学法学部の現在の偏差値は、60.0~62.5です。
現在の法政大学法学部(1年の場合)の入学金は24万、授業料80万ほど、その他合わせて1年間で130万円ほど。

学費は安かったものの学費は稼がなければならなかったので大学に入学後もアルバイトを続けながら大学を卒業しています。

入学後もアルバイトを続け、これまたさまざまな職場で働き、学費を稼ぎながら大学を卒業。
アルバイトは、ガードマン、新聞社の雑用、カレー屋などいろいろなアルバイトを経験したようです。

そんな忙しい毎日を送りながらも、大学時代に剛柔流空手道部に所属し「空手」に打ち込み、「二段」の段位を取っています。

政大学剛柔流空手道部は、現在も存在しており既に60年ほどの歴史がある部となっており、様々な著名人を輩出しています。




菅義偉の若い頃(大学卒業-就職)

1973年に大学を卒業したあと、民間企業である建電設備株式会社(現、株式会社ケーネス)に入社します。

株式会社ケーネスはどんな会社か調べてみたところ、東京都港区芝公園に本社を構える従業員467人ほどの会社です。

株式会社ケーネスは昭和46年創業以来、半世紀に亘り道路や河川・ダム等の社会インフラの円滑な運用・管理を行うための電気通信設備の総合保守点検会社
(引用元:株式会社ケーネス

建電設備株式会社(現、株式会社ケーネス)は1971年に設立されており、東京営業所(現 関東支社)は1972年4月に開設。

菅さんは1973年に大学を卒業しているので、当時はかなりできたての会社に入社したことになります。

今で言うと、ベンチャー企業のような感じだったのでしょうか。

菅義偉の若い頃(秘書時代)

サラリーマンとして生活する中で、「世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい」と思い立ち政治の道を志します。

しかし、まったくツテがないため、法政大学の学生課に相談し、法政大卒OBの国会議員事務所に紹介を受けて小此木彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう)元通産大臣の秘書に26歳でなり、11年間勤めます。

なお、小此木彦三郎さんは階段で転落して頭を強打したことで、63歳の若さで亡くなっています。

菅さんが秘書として働いていた頃、引退する市会議員から、「自分の選挙区を譲るから後継者になって欲しい」という話があったそうです。

その選挙区には、2人若い自民党の市会議員がおりライバルにも関わらず、菅さんに選挙に出るよう説得したそうです。しかし、菅さんは友達である2人とは戦えないと断ってしまったようです。

このエピソードから、菅さんの人柄がわかりますね。
しかし、菅さんは別の選挙区から立候補する決意をします。




菅義偉の若い頃(結婚について)

菅義偉(すが よしひで)さんは31歳のときに、妻の真理子さんと結婚しています。

 

2人の馴れ初めですが、菅さんがまだ秘書を務めていたころとのこと。

「議員宅に家事手伝いとして静岡から来ていた夫人を、見初めたそうです」
「20年来、髪型はショートカット。服装も地味で、いかにも普通の主婦という感じ。女優の安田成美さんに似ています」
(引用元:Flash)

何年に結婚したかは明らかではないですが、年齢から計算すると1979年頃だと思われます。

真理子さんとの間には3人の息子さんがいます。
その息子さんたちは、大成建設などの一流企業に勤めているようです。

真理子夫人については以下の記事も役に立ちます。

菅義偉の若い頃(市会議員に立候補時代)

この頃の菅さんの若い頃の写真が上記の動画で紹介されています。

菅さんは別の選挙区から立候補する決意をしましたが、菅さんは、現職が自民党の有力議員で厳しい選挙区である横浜市西区からの出馬を決意します。

当時、息子さんたちは3歳、1歳、1ヶ月ととても幼く、秘書を勤めていた小此木彦三郎先生も「やめたほうがいい」と説得し、周囲から大反対を受けていました。

 

しかし、菅さんは周囲の反対を押し切って1986年、小此木事務所を辞めて出馬します。

息子さんについては以下の記事も役に立ちます。





西区の家を1日300軒まわる

菅さんは、事務所を辞めたその日から、西区の家を一軒一軒まわり、1日に300軒、選挙前までには3万軒をまわりました。

あまりにまわりすぎて、靴はボロボロになったそうですが、その靴を見て「これだけの苦労をしてるのだから、菅さんは、必ず当選するよ」と言われたそうです。

なお、元小此木彦三郎さんの秘書の橋本昇さんが、奥さんの真理子さんに会ったときのことを語っています。

選挙前に、菅の奥さんの真理子さんに会った時、立候補に反対する私が「お金も、地縁も、地盤もないゼロからの選挙を、なぜ主人にやらせるのか」と言ったら、彼女は「主人には支援して下さる方が、きっと多く出てきて頂けると信じています」と伏せ目がちに、謙虚な消え入りそうな声ながら、それでもきっぱり言ったのを覚えています。

(引用元:すが義偉HPプロフィール(すが義偉を語る人々)

奥さんは周囲からは「無謀な戦いをしている」と思われていた菅さんを、誰よりも信じて応援していたのですね。

そして、見事、38歳で初当選を果たします。

当選してからは、横浜市会議員として2期務めます。




菅義偉の若い頃(衆議院議員時代)

その後、「地方分権国家の実現」を目指し、市会議員を辞職、浪人生活を経て、1996年第41回衆議院議員総選挙に神奈川2区から自民党公認で出馬

48歳で、初挑戦・初当選を勝ち取ります。

国土交通大臣政務官に就任した際は、ETCの夜間割引、アクアラインの大幅値下げなどの実現に尽力します。

4期目で総務副大臣を務め、安倍内閣で総務大臣に就任。

そして、6期目で官房長官になるというスピード出世を果たします。

このスピード出世については、以下のようなことが理由だと言われています。

特筆すべきは、11年間の議員秘書時代だろう。この時に、役人との関係の作り方を覚え、現在に至る。官邸主導による官僚人事の把握と使いこなしに生かしていると言えそうだ。

これに比して、衆議院議員になってからは、スピード出世している。当選から6期目で官房長官になれたのは、著者も指摘するように、政権交代後、野党転落時に安倍を直接口説いて、第2次安倍政権誕生の立役者となったことが大きい。

(引用元:講談社BOOK倶楽部

奇跡の当選を果たしてから、菅さんの座右の銘は「意志あれば道あり」になったとのことですが、強い意志と行動力はもちろんのこと、政治家としてのセンスや、人に好かれる人たらし的な魅力が菅さんにはあるのではないかと、彼の生い立ちなどをみると思います。

参考文献:Flash/HUFFPOST/wikipedia/すが義偉HP/すが義偉HPプロフィール(すが義偉を語る人々)/講談社BOOK倶楽部

菅義偉の生い立ちに関する世間の声

菅義偉(すが よしひで)さんは叩き上げの政治家

正直、あまり政治には興味がないのですが、菅義偉(すが よしひで)さんが次期首相の有力候補だということで生い立ちを調べてみたわけです。

「どうせ、菅さんも親が政治家で2世か3世だろう」と思っていたのですが、彼の生い立ちを調べてみると、彼がいかに努力家であり意志が強く行動力のある政治家であるということがわかりました。

もともとは農家の長男として生まれ、逃げるように集団就職で東京へ。

しかし、憧れの東京生活は厳しく、アルバイトを掛け持ちして大学に進学し、進学してからも学費を稼ぎながら卒業します。

その後、一般企業に就職するも政治家の道を志し、小此木彦三郎さんの秘書を11年勤めます。

ここからがすごいと思うところですが、せっかく「自分の選挙区を譲るから後継者になって欲しい」という申し出があったにも関わらず、友人が出馬し戦いたくないからとのことで断っています。

しかも、ライバルのはずの友人が、菅さんに出馬するよう説得したというのですから、それだけの人望があったのでしょう。

さらに、横浜市西区から出馬することを決意しますが、自民党の有力議員が現職を務め当選は誰もが無理だと思うようなところから出馬。

しかし、彼は1日300軒を1軒1軒まわり、奇跡の当選を果たします。

 

菅さんの座右の銘は「意志あれば道あり」ですが、彼の生い立ちや今のキャリアをみると本当にその通りだなと思います。

人望があり、しかも優秀で次期首相の有力候補と言われているのも納得です。

政治家は国民が選ぶものですが、政治家の生い立ちから知って人柄を知ることも大事だなと思いました。

 

 

真理子夫人については以下の記事も役に立ちます。

息子さんについては以下の記事も役に立ちます。


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