下仁田納豆(伊藤納豆店)の南都隆道と師匠・三之助とうふの茂木との出会い


群馬県の下仁田にある「下仁田納豆」を経営しているのは、代表取締役の南都隆道さん。

実は、南都隆道さんはもともとサラリーマンでした。

 

南都隆道さんの実家は、1963年に父親が創業した「伊藤納豆店」
1992年に父親が、「そろそろ廃業しようと思う」

と言ったのをきっかけに、南都隆道さんは、家業をつぐことを決意します。

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30歳で家業を継ぐと決めた南都隆道さん


下仁田納豆

南都隆道さんは、高専を卒業したのちに、サッシメーカーの技術者として就職していました。

1992年、南都さんが30歳の時に、父親が「廃業する」とポツリと言ったので、南都さんの他の3人の兄弟も
廃業に賛成しました。

しかし、南都さんは自分でもその時、なぜ、そんな事を言ったのかいまいち分からない。
とその後のインタビューで答えていますが、

「親父がよければ、俺に家業を継がせて欲しい。」

と発言。もちろん、廃業寸前で素人の南都さんに、父親は反対しましたが、
「誰が潰しても一緒」という事で、家業をつぐことに。

そして、1992年8月2日に「有限会社 下仁田納豆」として事業を始めるようになりました。

月に7万円の給料

家業を継いだのは良かったものの、売り上げは上がりませんでした。

父親を真似して引き売りをしてみましたが、3日で止めました。
販路を拡大しようとタウンページを片っ端から電話をかけたり、スーパー・小売店で得るものの、
月の売り上げは70万円。

原価などを引くと、残ったのは20万円で、父・母・南都さん3人で分けると
月に7万円の収入でした。

 

南都さんは、サラリーマン時代には30万円ほど稼いでいたので、「これはやばい」
悩んだのちに、同業者への挨拶回りをはじめました。

皆んなから「やめた方がいい」と言われる

南都さんは、他の同業者がどのように経営を成り立たせているのか、そのヒントが欲しくて
挨拶回りを始めました。

以前、スーパーのバイヤーから、
「納豆といえば、水戸なのに、下仁田なんて。」
「サラリーマンに戻った方がいい。」

と言われていましたが、他の同業者も同じく、「悪いことは言わないからやめた方がいい」と指摘されました。

三之助とうふの茂木との出会い

南都さんは、「大手に対抗する為に、安くて良い納豆を・・・」と考えていましたが、
そんなある日、高崎にあるスーパーを訪れた際に、360円もする高級豆腐が売られているのを見つけました。

バイヤーに、

「こんな、高い豆腐売れないでしょう?」

と聞いたところ、「これが、1番、うちで売れている豆腐です。」と教えてくれました。

その豆腐は、もぎ豆腐店の「三之助とうふ」というもの。

 

しばらくして、国道を走っていると「三之助とうふ」の看板が目に入った為、
飛び込みで、もぎ豆腐店を訪ねてみました。

飛び込みだったにも関わらず、社長の茂木さんは笑顔で迎えてくれ、自己紹介をすると

「若いのに、家業を継ぐなんて偉い。」

と南都さんを褒めてくれました。

いきなり顔にお茶をかけられる

茂木社長は、南都さんに

「これから、どういう納豆を打っていきたいんだ」

と質問ましたが、南都さんは答えに困って、

「大手に対抗する為に、美味しくて安いものをつくっていくことが重要だと思います。」

と答えました。

南都さんがそう答えると、茂木さんの表情は険しくなり、「帰れ」とお茶を南都さんの顔にぶっかけました。

あまりにもびっくりした、南都さんは「すいません。」と謝るしかありませんでした。

茂木さんは、南都さんに

「家業を潰したくないから、継いだのだろう。価格を決めるのは商売で1番重要なことだ。
なのに、どうしてそんなプライドのない事をする?自分の仕事に誇りを持てないならなら辞めてしまえ。」

と、南都さんに真剣な言葉を投げかけました。

続けて、

「職人の技で出せるのはせいぜい3割・味の7割は材料で決まる。」

と、素材の良さが1番重要な事を、南都さんに伝えました。

「良いものを作れば、それを分かってくれるお客さんが居て、必ず売れる」

という事を伝えたかったのです。

実際に、もぎ豆腐店で1番高い豆腐『只管豆腐』は1丁500円もしますが、
上質なプリンのような口どけがあり、価格が500円でも買ってくれるお客さんがいるのだと南都さんに伝えました。

茂木さんは、「うちで使っている大豆を分けてあげるから、それで納豆を作りなさい。」
と大豆の品種・数量・原価などを記した紙を南都さんに伝えました。

 

南都さんは、今まで納豆を90円程度で打っていたので、

「これだと売値が200円になってしまう」

と売る自信がありませんでした。

そんな南都さんを見て、茂木さんは、
「とりあえず、作れただけうちに持って来なさい。俺が売ってやる。」

と伝えました。

月商300万円に


茂木さんに分けてもらった納豆で、納豆を作り、茂木さんのところへ持っていくようになると、
月商70万円だったのが、あっという間に月商300万円までになりました。

南都さんがつくった納豆は、全て茂木さんが買い取っていたのです。

しかし、ある日茂木さんから電話がかかって来ます。

「君のところの室にはネズミがいる。退治してこい」

と。その真意を尋ねると

大豆が並んだ三角形の頂点が欠けているのが問題であると指摘。

しかし、南都さんは、「手作業で詰めているから1つくらい欠けていても、手作りの味の良さだ」

と発言しました。

しかし、茂木さんは、

「うちは、豆腐の角が立っているので死ねる。それくらいの気持ちで、豆腐をつくっている。
安い豆腐なら角が欠けていても許されるが、値段を取るならだめだ。」

と指摘しました。

茂木さんの豆腐も、手作業で詰めていることから、
寸分違わず同じにつくるのが日本の職人技のだと、その時、南都さんは思いました。

ある日、突然、取引を断ち切られる

ある日、突然、茂木さんから取引打ち切りを通告されます。

「このままじゃ、ずっとうちの下請けのままだから、もっと良い大豆はないのか、
どこに売れば良いのか、自分で考えろ。」

と言われてしまいます。

南都さんは、どうせならトップの中でもトップの「日本橋三越」に営業をかけてみようと決意します。

日本橋三越へ

断られる事を前提に、日本橋三越に出向いた南都さんでしたが、
電話でアポを取るとすんなりOKをもらえました。

さらに、約束していたバイヤーに挨拶すると

「お会いできて嬉しいです。」

と、快く出迎えてくれたのです。

話を聞くと、茂木さんから、下仁田納豆のサンプルをもらっていたため、
気に入って取引したいと思っていたのだと言います。

他の店をまわっても、同じように歓迎してもらえました。

茂木さんは、自分で納豆を売ると言いながら、実際には、色々なところにサンプルを送っていたのです。

同じように若者を助けてあげて欲しい

茂木さんに、お礼に言った際に、

「結局は、商売も人との繋がりが大切だ。」

「今度、同じような志を持った若者が、助けを求めて来たら同じような事をしてあげて欲しい。」

と南都さんに伝えました。

実は、茂木さんも若い頃に「師匠」と思っていた人に同じように助けられ、
いつか、自分と同じような若者が現れたら、自分がしてもらった事をしてあげる事が師匠への恩返しだと考えていたのです。

参考文献:おいしいものには理由がある/納豆文化村インタビュー

まとめ:下仁田納豆の物語

勢いで家業を継いだ南都さんでしたが、まさに奇跡のような「師匠」、茂木さんに出会う事で、
業績はどんどんと伸びていきます。

南都さんと茂木さんの出会いを見ると、本当に人と人との繋がりが大切だという事。
なんでも安く売るのではなく、自分の商品に自信を持ち、プライドを持って商品を作り販売すれば、
必ずお客さんは買ってくれるものだという事がわかった気がします。

三之助とうふ
http://www.minosuke.co.jp/

下仁田納豆公式HP
http://shimonita-natto.c.ooco.jp/

下仁田納豆楽天店↓
下仁田納豆販売店:はせがわ


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