新元号が「令和(れいわ)」に決定しました。
新たな元号は、最初とされる「大化」から数えて248番目となります。

万葉集の梅の花32首の序文からの

出典となります。

では、なぜ令和(れいわ)が選ばれたのでしょうか?

なお、今までの元号のほとんどが中国の古典から引用されており、
日本の古典から引用されるのは初めてのことだとか。

安倍総理によると、令和に込められた意味を以下のように会見で語っています。

「若い世代が活躍できる社会を」
ということで、梅の花の歌では、春の訪れと共に梅の花が美しく咲き誇る
姿が描かれています。

平成に「世界で一つだけの花」という歌が流行りましたが、
その歌になぞらえると、

明日への希望を元に、若者たち一人一人が自分だけの花を咲かせてほしい
との意味が込められているとのことです。

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令和(れいわ)の意味とは?

令和(れいわ)は、万葉集5巻の梅の花32首から引用されています。

32主の序文に記載されている「令」と「和」から引用されています。

万葉集の梅の花32首
―太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首、また序
天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて盖を傾け、夕岫に霧を結び、鳥はうすものに封りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐にして、膝を促して觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情をのベむ。請ひて落梅の篇を紀さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠を成むベし。
(引用元:manyo.hix05.com

梅の花の背景ですが、

天平2年(730)正月に、大宰府においては正月の饗宴として梅花の宴が開かれており、旅人をはじめ三十二入が饗宴に集まり、梅花を
題材に短歌を詠んだと言われています。

(引用元:大伴旅人と梅花の歌

具体的な意味とは?

先ほどの首は古典の文なので、意味がわからないかと
思います。

以下が、現代文に直した意味です。

天平2年1月13日に、大宰の帥の旅人の邸宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のよき月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、梅の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。
(引用元:令和

令和のまとめ

これまで中国古典より引用が多かった新元号。
令和は、初の日本古典よりの引用となります。

また春の訪れを予感させる梅の花の美しい姿が詠まれた歌
からの引用ということで、これからの世代に向けた希望のある将来といったような
意味が感じられました。

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