2020年秋よりNHK連続テレビ小説第103作「おちょやん」がスタートします。
このドラマは実在する女優・浪花千栄子さんをモデルとしており、杉咲花さんが、主人公の竹井千代を演じます。
そこで今回は、実在するモデル浪花千栄子さんの生い立ちや、旦那さんの2代目渋谷天外さんについてご紹介します。
浪花千栄子の生い立ち〜顔画像など
オロナイン軟膏のホーロー看板 入荷。
1963年(昭和38年)から始まったオロナインのホーロー看板設置。
往年の名女優 浪花千栄子さんが着物姿でほほ笑むデザインは昭和の雰囲気たっぷりですよねぇ詳細は→https://t.co/4KoBqh3MV9#神戸トランヂスタ #昭和レトロ #ホーロー看板 pic.twitter.com/vdC1kKK5Gq
— 神戸トランヂスタ (@kobe_transistor) January 11, 2020
浪花千栄子(なにわ ちえこ)さんの本名は、南口キクノ(なんこう きくの)。
1907年(明治40年)11月19日生まれ大阪府南河内郡大伴村大字板持(現・富田林市東板持町)生まれです。
実家は、養鶏業を営んでいましたが、わずか8歳のときに道頓堀にある仕出し弁当屋に女中奉公に出されることになります。
そのため、ろくに小学校にも行けず、その後、京都で女給として働いていました。
そのとき同僚にすすめられ名もない映画プロダクションの新人募集に応募し、女優への道を歩き始めます。
しかし、浪花さんがデビューする前にこのプロダクションは倒産してしまいます。
幼い頃から奉公に出されろくに勉強もできず、それでも女給として働き女優という夢を持って歩き始めるも早々から波乱万丈の人生だったようです。
しかし、彼女は才能があったようで、18歳のときに、ある監督の推薦で「村田栄子一座」という旅周りの劇団に入団することになります。
この劇団で、若手女優として一気に頭角を表し舞台に立つようになるものの、この一座は下向線。
そこで、東亜キネマ等持院撮影所に入り、香住千恵子という芸名で映画「帰ってきた英雄」で女優デビューを果たします。
この映画に出演移行、いろいろな役柄をこなしていくも、給与未払いなどがあり映画界から足を洗うことに。
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浪花千栄子の旦那がゲス男だった?二代目渋谷天外とは
どこか懐かしい
舞台を観て、ふっとあの頃を思い出す。
コロッケだとか、貰い物の蒲鉾
コラム企画 ~ #余白の楽しみ ~https://t.co/ag3qnAnHp3
『船場の子守唄』二代目渋谷天外、藤山寛美
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その後、フリーとして活動するも1929年(昭和4年)、大阪の「新潮座」に入り、松竹の専属契約を得ることに。
この頃、二代目渋谷天外(本名・渋谷 一雄)と出会い、1930(昭和5)年に結婚。
年齢でいうと、浪花千栄子さん23歳頃、天外さん24歳頃ですね。
昭和37年6月、新橋演舞場における松竹新喜劇の新聞広告。この頃はもう渋谷天外(2代目)と藤山寛美の師弟コンビが看板となっていたはずだが、この広告は天外の一枚看板!#松竹新喜劇 #新橋演舞場 #渋谷天外 #昭和37年 #新聞広告 pic.twitter.com/i26NTJxyfB
— 高木圭介 (@keisuke6964) February 17, 2020
1948年2代目天外は「松竹新喜劇」を結成し、浪花さんは看板女優として活躍します。
結婚し仕事も順調かとおもいきや、夫の2代目天外は、新人女優の九重京子さんとの間に子どもをつくります。
この頃、浪花さんは40代。夫は、若い女に走って愛人として九重京子さんと付き合い子どもをつくっていたのでした。
そのため、2人は離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団。
後に九重京子さんは2代目天外と結婚し、長男の成男と次男で、後に3代目・渋谷天外となる喜作さんを出産されています。
3代目・渋谷天外さんは2020年8月現在、65歳です。
文枝元・会長の挨拶、山村友五郎お家元の挨拶、3代目渋谷天外さんの挨拶、南光常務取締役の挨拶。
思っていたより、かなり業界の方々が多くて、私、場違いだったかしら💦 pic.twitter.com/w8NXVmOzGV— 永王 美咲 (@gokigen_misaki) December 20, 2018
浪花千栄子と言えば、オロナインのホーロー看板
大塚製薬では、1959(昭和34)年頃から、浪花千栄子、香山美子、名取裕子さんらを起用したCMを打ち出しはじめたそうです。
そして、1963(昭和38)年から、全国であの有名なホーロー看板が張り出され始めたとのこと。
(参考文献:大塚製薬)
ちなみに大塚製薬のオロナインヒストリーでは…
ちなみに、ホーロー看板に登場し、後にテレビCMのキャラクターともなる浪花千栄子氏の本名は、南口キクノ(なんこう きくの)。本名を知った人が、後で思わずニヤリとするタレント起用でした。
(引用元:大塚製薬)
すごい偶然にびっくりですね。
芸能界から去り行方不明から数々の映画に出演
芸能界から去り、事実上の行方不明のような状態でしたが、NHK大阪放送局のプロデューサー・富久進次郎が捜索。
その後、NHKラジオの「アチャコ青春手帖」で花菱アチャコの母親役として出演し人気を博します。
「アチャコほろにが物語 波を枕に」「お父さんはお人好し」は長寿番組となり、これは花菱アチャコさんと浪花千栄子さんの代表作となります。
この番組は映画化もされ、1953年映画「祇園囃子」に出演しお茶屋の女将、お君を演じ、ブルーリボン助演女優賞を受賞します。
1955年には、森繁久彌(もりしげ ひさや)さん主演の映画「夫婦善哉(めおとぜんざい)」に出演。
1957年の黒澤明監督、三船敏郎と山田五十鈴が主演を務める「蜘蛛巣城(くものすじょう)」では、物の怪の妖婆を演じます。
このときの老婆の姿がかなり衝撃的です。興味のある方は、「物の怪の妖婆」で画像検索してみてください。
晩年は旅館を経営
晩年は、京都嵐山の天龍寺内に「料理旅館 竹生(ちくぶ)」を開いて養女・南口輝美さんと経営していたようです。
浪花千栄子さんが亡くなった後、南口輝美さんが引き継いで経営していたそうですが現在はもう旅館はありません。
しかし、京都嵐山天龍寺・塔頭の松厳寺に墓地があるとのことです。
1973年12月22日、消化管出血 (しょうかかんしゅっけつ)で66歳で亡くなっています。
参考文献:wikipedia、紙芝居屋亭、blog.goo.ne.jp、inspiredialoguefoundation.org
波乱万丈の人生を生きた女優・浪花千栄子
浪花千栄子さんは、幼い頃か女中奉公として働きろくに学問も学べない貧しい生活を送っていました。
その後、女優を目指すも、プロダクションが倒産、給与未払いなどが続き、決して楽な生活ではなかったでしょう。
しかしながら、若い頃から彼女の才能を周囲が認めていたことが、唯一の彼女の「光」だったといえるでしょう。
若い頃は、大変な苦労をするも、結婚し松竹の看板女優として活躍します。
ところが、私生活では夫は若い女優に走り子供までつくってしまいます。
なかなか平穏無事な生活を送れない浪花千栄子さんは、一時、芸能界から姿を消します。
しかし、やはり彼女の「才能」を捨てるのは惜しいと考えた方がいたのでしょう。
ラジオドラマに出演し、その後、主役級の女優さんではありませんが、多数、映画に出演しその才能を開花させます。
晩年は、養女と旅館を経営し、晩年になってようやく心穏やかに生活を送れるようになったのではないでしょうか。
この波乱万丈な人生を生きた女優・浪花千栄子さんを杉咲花さんが演じるということで、彼女の演技についても楽しみですね。
浪花千栄子さんの実際の生い立ちを知って、ドラマを見るとより感慨深いものとなるでしょう。
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