日本人医師の中村哲さんが、アフガニスタンにて銃撃され亡くなりました。
25キロほど離れた「かんがい作業」の現場に車で向かう途中に襲われたと見られています。

中村哲さんは、医師でありながらも農業用水路の建設などでアフガニスタンの発展に貢献した人物で、アフガニスタンで初めて「外国人名誉国民」としてアフガンの市民証を渡された人物でもあります。

また、中村哲さんがパキスタンでの医療活動を支援する目的で立ち上げたNGO「ペシャワール会」の現地代表として活躍しており、現地代表として活躍されていました。

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中村哲さんの嫁・尚子さんの取材でのインタビュー

中村哲さん(73歳)には、7歳年下の嫁・尚子さん(66歳)がいらっしゃいます。
嫁・尚子さんは、福岡県大牟田市在住ですが、夫の死についてインタビューを受けた際に、

「今日みたいな日がこないことだけを祈っていた」「こういうことはいつかありうるとは思っていた」

と話していました。

中村哲さん・子供家族と二世帯で暮らす

中村哲さん・嫁・尚子さんには、娘さんと息子さんがいらっしゃいます。

お二人は長男家族と2世帯で暮らしており、お孫さんにも恵まれています。

中村哲さんが自宅に帰ってくるのは年に4回ほどだったとか。
嫁・尚子さんは、

「どういう地域で活動しているのかは分かっているし、いつも家にいてほしいとは思っていた。ただ本人は活動に懸けているので強く反対するわけにいかず、見守っていました」
(引用元:西日本新聞

と語っています。

中村哲さん10歳の息子さんを亡くしていた

あまりご家族の事を語らない事で知られている中村哲さん。
しかし、澤地久枝さんの著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束」にて、10歳で亡くなった息子さんについて語っています。

著書内で、

「享年十歳、親に似ず優しい聡明な子であった」


「バカたれが。親より先に逝く不孝者が在るか。見とれ、おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ」


「翌朝、庭を眺めると、冬枯れの木立の中に一本、小春日の陽光を浴び、輝くような青葉の肉桂の樹が屹立している。


死んだ子と同じ樹齢で、生まれた頃 野鳥が運んで自生したものらしい。常々、『お前と同じ歳だ』と言ってきたのを思い出して、初めて涙があふれてきた」


(引用元:人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束)

と愛する息子さんについての気持ちを語っています。

幼い息子さんを亡くしたからこそ、アフガンという地で幼い子供たちが、どんどん命を落としていく状況を見るに耐えなかったのかもしれません。

中村哲さんの経歴

中村哲さんは1946年福岡県に生まれ、九州大学医学部卒業した後に、国内の病院で働いていました。

若い頃から登山が好きだった中村さんは、アフガニスタンの山にも度々、足を運び、そこで近代的な医療から隔絶された環境に暮らす現地の人たちと出会ったことが縁で、1984年にパキスタンにある「ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟」に赴任し、ハンセン病の治療を始めます。

その後、飲料水・灌漑用井戸事業を始め、亡くなるまでアフガニスタンの人々への貢献を果たしました。

これまでに「外務大臣賞」「厚生大臣賞」「モン・マグサイサイ賞(平和・国際理解部門受賞)」を始めとする数々の賞を受賞されています。
(引用元:peshawar-pms.com

中村哲さんの著書

これまでに中村哲さんは、いくつもの著書を出版されています。

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

アフガン・緑の大地計画―伝統に学ぶ潅漑工法と甦る農業

「この著書はAMAZONの外国農業カテゴリでベストセラーとなっています」

医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む

まとめ

中村哲さんは、およそ30年、アフガニスタンの医療・発展に貢献してきた人物です。
嫁・尚子さんの本音としては、インタビューでも語っていたように、
やはり日本で一緒に暮らしたかったという気持ちがあるでしょう。

ご家族としては、いたたまれない今回の事件。

これまでの中村哲さんの偉大なる功績を称えるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

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