JR東日本の社長や会長を歴任した松田昌士(まつだ・まさたけ)さんが19日、84歳で死去されました。
今年に入って、松田さんは腹部の異常を訴え、肝臓がんが発覚。
抗がん剤治療に取り組んだものの、亡くなりました。

今回は、松田昌士(まつだ・まさたけ)さんの経歴や功績そしてご家族について調査しました。




松田昌士(まつだ・まさたけ)の経歴

松田昌士

生年月日:1936年1月9日
出身地:北海道北見市
学歴:北海道大学法学部卒業・北海道大学大学院法学研究科修了

北海道大学大学院法学研究科修了後に、国鉄に入社。

1985年には、「国鉄北海道総局総合企画部長」、1987年に「東日本旅客鉄道株式会社常務取締役」となり、1993年に代表取締役社長に就任。

2000年には、代表取締役会長に就任しています。

小さい頃から野球が好きで、「日本野球連盟会長」を務めた経験もあります。

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「国鉄改革3人組」と呼ばれた背景とは

昭和55年、鈴木善幸内閣が発足し「日本国有鉄道(国鉄)をJRとして、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割し、民営化する」という決意のもと、国鉄分割民営化(こくてつぶんかつみんえいか)を実施します。

この改革で後のJR西日本社長・井手正敏、後のJR東海社長・葛西敬之、後のJR東日本・松田昌士の3人が中心となって改革を勧め、政界・官界と連携しつつ分割・民営化に取り組んでいきました。




革マル派とは?

国鉄内には、国鉄分割民営化に反対する「国体護持派」と呼ばれる幹部たちがいました。

労働組合(ろうどうくみあい)の中でも、反対がありましたが昭和60年に動労委員長に就任した松崎明氏が「このままでは国鉄の将来はない」と判断して労使協調路線に転じました。

労使協調(ろうしきょうちょう)とは、労働組合と使用者が協力して企業の利潤を上げ、結果として労働者の取り分を増やそうとする立場。 (wiki)

松崎氏は雇用を守ことを優先させたのです。

このような姿勢は、彼が在籍した「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)の組織を温存するための「偽装」ではないかとも見られていました。

しかし、組合員の生活を守るという点から見れば、正しい選択だったという味方もあります。
(引用元:gendai)

松田昌士の家族とは?喪主は娘の齊藤美詠子さん

松田昌士さんのご家族についてですが、喪主は長女の齊藤美詠子さんです。
娘さんが喪主ということは既に奥さんは亡くなられたのでしょうか。

なお、報道では「娘婿の急逝という悲報に接し、新型コロナウイルス感染拡大の騒ぎの中、静かに息を引き取った」とありますので、娘さんの旦那さんもつい最近、亡くなったと考えられます。

sankeibiz

松田昌士の功績

数々の功績を残されました

松田昌士さんは、今の鉄道の在り方をつくる為に尽力し、そのほか数々の功績を残されました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


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