2019年5月12日日本映画史に名を残す女優の京マチ子さんが、
心不全のため、95歳で亡くなりました。

そんな大女優の京マチ子さんは、晩年はお一人様でしたが、
3人の大女優とドラマプロデューサーと同じマンションにて暮らしていました。

ドラマプロデューサーの石井ふく子さんが声をかけて、
京マチ子さんをはじめとする奈良岡朋子さん、若尾文子さんが住み始め
お互いに助け合っていたと言います。

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京マチ子の生涯(若い頃〜晩年まで)

京マチ子さんは1924年大阪に1人っ子として生まれました。
しかし、彼女が5歳の頃に父親が蒸発し、母と祖母と一緒に暮らしていたと言います。

1936年に、大阪松竹少女歌劇団(OSK)に入団し、娘役スターとして活躍。
その後、1949年に大映から女優デビューしました。

当時、後輩で後に一緒にマンションに暮らすこととなる若尾文子、
美人の代名詞でもある山本富士子とともに、大映の看板女優として大活躍をしました。

京マチ子さんは黒澤明監督の「羅生門」がヴェネチア映画祭でグランプリを受賞。
雨月物語、地獄門、源氏物語など出演作が相次いで映画祭にて入賞したことから、「グランプリ女優」とも言われています。

当時は、グラマラスな肉体美を武器に数々の名作に出演されました。

私生活では、大映の社長・永田雅一さんと恋の噂があったものの、生涯独身を貫きました。

永田雅一さん

出典:毎日新聞

その後、ドラマ『犬神家の一族』、映画『華麗なる一族』など数々のヒット作品に出演。
1976年には『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ役も演じました。

2006年頃まで舞台で活動をしていましたが、その後は引退状態でした。

石井ふく子とは?

出典:oriconnews

石井 ふく子さんは、東京都出身1926年9月1日生まれの
TBSテレビプロデューサーです。

母親は、芸者の三升延で、父親は劇団新派の俳優伊志井寛ですが、
父親とは血縁関係はなく、母親と前夫との間の連れ子でした。

東京女子経済専門学校を卒業後した後、新東宝の女優としても活躍。
その後、日本電建に入社し、1961年にTBSテレビに入社しました。

TBSテレビに入社し、プロデューサーとしては、『肝っ玉かあさん』『ありがとう』などの
数々の人気ホームドラマを手がけました。

なお、「渡る世間は鬼ばかり」では、橋田壽賀子さんとともに26年以上も協業し、
長寿番組となりました。

私生活では、一度、結婚歴があるものの離婚して独身とのこと。

京マチ子・石井ふく子らのマンション生活

石原裕次郎が最も尊敬する女優として名を上げている奈良岡朋子さん。
奈良岡さんが、2003年頃に石井さんに「いい物件がある」と伝えたそうです。

そして、石井さんはモデルルームを見に行ってそのままマンションに住むことに。
その後、奈良岡さんも同じマンションに住むことになりました。

石井さんは、引越しを考えていた京さんに同じマンションを勧めて、彼女も暮らすことになりました。

女優の若尾文子さんは、たまたま同じマンションに住んで、ある日、玄関でばったり会ってびっくりしたと言います。

なお、奈良岡朋子さんは生涯独身で、若尾文子さんは2007年に夫の黒川紀章さんを亡くしています。

4人が住むマンションは、都心にあり24時間管理人が対応していて、
病院や役所、テレビ局も近くてどこに行くにも便利だと言います。

石井さんは、プロデューサーというだけあって

「大女優ほどプライベートを見せたがらないものですが、手料理をドアノブにかけてインターホンは鳴らさないという絶妙な距離感がポイントです。」

という配慮を見せています。

それでも、1年に1度は、お正月に石井さん宅に集まって、お祝いをするそうです。

普段の生活では、何かあれば電話をして、お裾分けをするのだとか。

「奈良岡さんはあまり炊事をしないから、私が朝おにぎりを作って、彼女の部屋のドアノブにかけることもあります」

と石井さんはインタビューで語っています。

(引用元:NEWSポストセブン1/NEWSポストセブン2)

おひとり様の理想的な暮らしを先取り?

近年、おひとり様が増えており、孤独死が問題視されています。
とはいえ、誰でも知らない人と一緒には暮らしたくありませんし、
プライベートも大切ですよね?

そんな中、仲良しの女友達同士で同じマンションに住むというのは、
これからのお一人様時代に、良いアイディアなのかもしれませんね。

お互いに支え合って、何かあった時には助け合う。
そんな石井さんたちの暮らしも良いのかもしれません。


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