オスカー・シンドラーといえば、映画『シンドラーのリスト』でも有名な人物である。
シンドラーは、第二次世界大戦中、ドイツにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち、
自身の工場で雇用していた1,200人を虐殺から救った誰もが知るヒーロです。

しかし、ベトナム戦争で、ベトナム人をサイゴンから救ったジョン・リアダン(john riordan)という
人物の名前は聞いた事がないのではないでしょうか?

ジョン・リアダン

出典:60minutes

それもそのはず。ジョン・リアダンのストーリーはベトナム戦争から40年経ってから
語られました。彼は、ベトナム戦争のオスカー・シンドラーと呼ばれています

ベトナム戦争は、1975年4月30日にベトナムの首都サイゴンが陥落(かんらく)し終戦。
終戦間近の1975年4月、ジョン・リアダンは、首都サイゴンにある
銀行(シティバンク)でアシスタントマネージャーとして働いていました。

ジョンはバーベキューを自宅で開き、シティバンクで働くベトナム人の同僚たちと交流を深め
ていました。ジョンにとって彼らは家族でした。

しかし、共産主義陣営がサイゴンに向かい始め、
終戦の約3週間前に、ニューヨークのシティーバンクより、
チャーター便を手配したから、同僚を連れて逃げるようにという命令を受けます。

ジョンが、もしサイゴンに残っていれば、殺される可能性が高い危険な状態でした。
またベトナム人のスタッフたちも「アメリカ人のスパイ」として報復を受ける可能性があり
危険な状態でした。

しかし、ベトナム人が国を離れるには出国許可(証)なしでは出国できません。
ジョンは、同僚を残して逃げたくはありませんでしたが、命令によりジョン1人で香港へと
飛び立ちました。

しかしジョンは心配する同僚に「心配しないで。必ず君たちのところへ戻ってくるから。」
と約束しました。

ジョンは、香港で上司と彼らの救出計画をたてました。
彼らは、ヘリコプター、もしくは油運搬車で彼らを輸送しようと考えアメリカ政府に協力を求めましたが
全て失敗に終わります。

それでもジョンは諦めませんでしたが、シティバンクより「もう十分だ。これ以上、救出をすすめようとすれば、
君はをクビにする。」と言われてしまいます。

しかしジョンは、残してきた同僚を見捨てる事は出来ずにサイゴンに戻る事を決意します。
それは彼が仕事を失うことを意味していました。もちろん命の危険もありました。

サイゴン陥落の11日前に、商業用の飛行機でサイゴンへと向かい、銀行へと向かいました。

すると同僚たちは、ジョンに駆け寄ってきて「私たちはどうしたらいいの?」「どうやって逃げたらいいの?」

と言いました。

彼らの救出はシティバンクの命令ではなかった為、ジョン自身で彼らの救出を考えなければなりませんでした。

まず、ジョンは、同僚と同僚の家族105人をジョンの住んでいた一軒家に集めました。
4日過ぎたころ、CIAエージェントがジョンに「アメリカ軍の貨物機でアメリカ人と
その家族だけが唯一、脱出することができる」ということを伝えます。

そして彼は、「その時が来たら、家族と一緒に空港にくるように。」と伝えます。
しかしジョンは「家族はいない」と答えました。

すると彼は、「妻と子供をつくりなさい。それがだれであっても構わない。そして文書に署名しなさい」
と伝えました。

ジョンは、1人で飛行場に行き、連れていく扶養家族の手続きを行っているところへと向かいました。
そこで、ジョンは1枚の紙を渡され、扶養家族を書くように言い渡されます。

ジョンは、15人の名前を書きました。妻の名前と14人の子供の名前を記載し提出しました。
ジョンは、こんな無茶なことが通用するかと緊張していましたが、役員は何も質問せず
「避難」のスタンプを押しました。

ジョンは、家に急いで帰りそのことを15人に告げました。
そして、ジョンは4日間の間に、手続所へ10回足を運び、同じことを繰り返しました。

役員に「ここで君を見たことがある気がするけど。」と聞かれたこともありましたが、
ジョンは、「いいえ。そんなことは絶対にないです。」と答えました。

105人の同僚は無事、脱出することができました。
その後の脱出ルートは、アメリカ大使館にあるヘリコプターのみでした。
数日後に、サイゴンが陥落。戦争が終わりました。
しかし、飢餓と残忍な弾圧は続いておりボートで脱出しようとしたおおくの人々は溺死するという悲惨な状況でした。

ジョンの救出劇で、シティバンクの同僚たちはグアム、フィリピンへ避難、その後、
カリフォルニアで再会しました。

ジョンは、実際にはシティバンクを解雇されることなく、ジョンはボーナスを与えられ
「英雄」として称えられました。

そしてベトナム人の従業員たちに仕事を与え、定住するための資金を百万ドル提供しました。

ジョンは現在こう答えます。「僕に子供が105人いるのは分かってるけど、孫たちの数については聞かないで。」と。

助けられたベトナムの同僚たちには、新しい家族が増え、これからも幸せに暮らしていくことでしょう。

ジョンのインタビュー動画はこちら→

参考文献:60minutes


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