伝説の麻薬王の異名を持つ、
メキシコの麻薬王ホアキン・グスマン容疑者が、22日逮捕されました。

ホアキン・グスマン 逮捕

出典:Yahooニュース

グスマン容疑者は、米国へのコカインやマリフアナの密輸ルートを
掌握する麻薬密売組織シナロア・カルテルの首領。
「ちび」のあだ名で知られ、1980年代に頭角を現した。
グスマン容疑者は22日早朝、シナロア州のホテルに潜伏中、メキシコと米国の共同作戦によって逮捕された。
Yahooニュース

今回は、ホアキン・グスマンの生い立ち~人生をご紹介します。

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ホアキン・グスマン(Joaquín Guzmán Loera)

麻薬王 ホアキン・グスマン

出典:nydailynews.com

ホアキン・グスマン(Joaquín Guzmán Loera)
生年月日:1957年4月4日(56歳)
出身:メキシコ

メキシコ最大級の麻薬密売・密輸組織のシナロア・カルテルの最高幹部

1993年に殺人容疑や、麻薬取引などの罪で20年の刑を宣告され、メキシコの刑務所
に収監されていたが、2001年に脱獄。

米麻薬取締局(DEA)の「世界で最も重要な麻薬密売人」として手配されており
アメリカでは懸賞金500万ドル(約5億円)をかけられていました。

そしてついに
2014年2月22日メキシコシナロア州マサトランの高層マンションにて身柄を拘束されました。

ホアキン・グスマンの生い立ち

ホアキン・グスマンは、メキシコのシナロア州の貧しい家庭で生まれました。
※シナロア州といえば、メキシコ麻薬戦争においてマリファナなどの主要栽培地ともなった州です。

彼の父親は、牛の牧場主ですが、
ケシ(麻薬の原料)の栽培者であったのではないかとも言われています。

ホアキン・グスマンは子供の頃、オレンジを販売しており、彼の父の手伝いの為
小学3年生で学校を退学します。

彼の父親は、家庭内暴力者で、グスマン自身、何度も暴力を受けていました。
時には、母方の祖母の家に逃げて治療を受けたこともあったと言います。
グスマンは弟らを暴力から守る為、父親に立ち向かった事も。

その後、10代でマリファナ作りに携わり彼の家族の家計をサポートしました。

その後、父親に家を追い出された後は、祖父とともに暮らしていましたが、20代の頃に
故郷を離れ叔父を通して、
麻薬密売の先駆者であるペドロ·アビレスペレス(Pedro Avilés Pérez)
の犯罪組織へ参加することとなりました。

引用元:en.wikipedia

ホアキン・グスマンの歴代の嫁について

ホアキン・グスマン 嫁3人目(4人目という説も)の嫁エマ

出典:gangstergirlsdocumentary

1977年に最初の妻となるマリア·サラザール·エルナンデスと結婚。
少なくとも2人の間には3人の子供がいたとされています。

その後、1980年代半ばに再婚。

2007年には3人目の妻(4人目という説もある)で当時18歳の
コーヒーとグァバの美人コンテスト入賞者でもあるエマと結婚。
グスマン当時53歳。

彼女は、2011年にアメリカのLAで、双子の娘を出産。
エマはアメリカ国籍を持っており、二人の娘もアメリカの国籍を持つことに。

 

ホアキン・グスマンは、アメリカのギャングとして有名なアル・カポネよりも
危険な人物とされています。

アル・カポネ ホアキン・グスマンアル・カポネ

出典:5b.biglobe.ne.jp

アル・カポネを題材とした映画やドラマは数多く作られて、
その知名度は世界的なものとなりました。

ホアキン・グスマンの人生は幼少時代より壮絶であり、映画さながらの
人生を送っている「世界一の麻薬王」の異名を持つ人物です。

グスマンも、生まれながらの悪党ではなく
幼少期は、父親の暴力から弟を守ろうとする責任感のある子供でした。
それが、選んだ道によって犯罪に手を染め、世界的な悪党となってしまいました。

その彼の生い立ちや、世界一の麻薬王になるまでのグスマンの人生に
興味を持つ人々は後を絶たないかと思います。

グスマンが拘束された今、彼をモデルとした映画が制作されることも
今後、大いにあるかもしれません。

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