昭和57年2月8日史上最悪と言われた永田町にあるホテルニュージャパンでの大火災。
死者33名。火から逃れるため、飛び降りて亡くなった人もいるという大惨事となった。

大火災の原因

ホテルニュージャパン火災 原因

出典:wikipedia
火災の直接の原因は、9階に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝たばこであった。
しかし火が、広範囲に広がってしまった背景には、ホテルニュージャパンのずさんな設備にあった。

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ずさんなホテルの設備

後に記載するが、伝説の消防士と呼ばれる高野甲子雄(たかのきねお)氏が、
ホテルニュージャパンの火災が起きる2ヶ月前に定期点検に来ている。

その時、経費節約のため、加湿器は止められており空気はとても乾燥しており
「ここで火災が起きたら大変なことになる」と高野氏は思ったという。

また、火災が起きた際に、大量の水を散水する消防用設備である「スプリンクラー」の設置は
行なわれていなかった。

もちろん、この定期点検を受けて、東京消防庁はホテルニュージャパンに警告。

しかし社長の横井英樹(よこい ひでき)は警告を受けた後、
飾りのスプリンクラーを設置し、ごまかすというなんともずさんな対応であった。

さらに火災時、横井社長は、ホテルにある高級家具を非難させるよう指示をしている。

大火災発生・異例の23区全域の消防士を動員

現場は、あまりにもひどい状態であり、要救助者も多数発生している状態であった。
そのため、東京消防庁は、最高ランクの出場態勢「火災第4出場」を発令。

東京・23区全域の消防士の動員を呼びかけた。
集まった消防士は600人以上。緊急車両は120両以上が現場に駆け付けた。

66名を救った伝説の消防士・高野甲子雄率いるレスキュー隊

当時、永田町にある消防署で、特別救助隊入隊(レスキュー隊)の隊長を
務めていた高野甲子雄(たかのきねお)氏。当時33歳であった。

高野氏は5名の部下とともに現場へと向った。
火災がひどい9階10階は、はしごも使えず、危険な場所であったが
多くの逃げ遅れた宿泊客が残されている状態であった。

高野氏率いるレスキュー隊は、危険な9階10階へと向った。

開かないドア・屋上から救出

到着から10分後、9階に辿り着いた隊員たち。
しかし、非常階段のドアは開かず、ドアを開けるためのカッターを
取るに戻るには時間がかかりすぎた。

しかし、2ヶ月前に定期点検で高野氏は、屋上も入念にチェックしていた。
そのこともあり屋上からロープをおろして宿泊客を助けようと思いつく。

屋上へと向ったレスキューター隊は、ロープをおろし次々と宿泊客を救出していく。

命がけの救出

しかし、救出した宿泊客から「まだ部屋に人が残されている」と聞かされる。
その客がいた部屋は、まだ火災は起きていないものの隣の部屋は火で燃え盛っており
いつ「フラッシュオーバー」が起きてもおかしくない状態であった。

フラッシュオーバーとは、突然起きる爆発で、1度爆発が起きれば
温度は1000度以上にもなり、防火服を着ていても命の危険があった。

しかし高野氏は、救出することを決め、隊員の中でも俊敏である浅見昇氏を向かわせた。
しかし、その途中、浅見氏の酸素ボンベが切れてしまい救助を断念。

高野氏は、悩んだ末に、自らが救助に行く事を決断する。
隊長が突入するのは、マニュアル違反であった。

しかし、自分が行くのが最善の策だと考え、救助へと向った。
部屋で倒れている男性を見つけた高野氏は、
男性にロープを巻き付け抱きかかえようとした。

しかしその時、恐れていたフラッシュオーバーが起きてしまう。
隊員たちは急いで高野氏の命綱を引き上げた。

そこには、男性を抱えて離さない高野氏がいた。
男性は、全身に大火傷を負い、高野氏自身も、頭、顔に火傷を負い、気管支もやられてしまっていた。
そのため到着後30分で高野氏は病院へ送られた。

66名の救出

高野氏が病院に送られてからも、レスキュー隊を含めた消防士たちの
必死の救出により66名が救出された。

火がようやく鎮火したのは、火災から7時間経ったころであった。

その後、隊員たちは病院にいる高野氏のもとに防火服のまま駆け付け、
高野氏の無事を確認し泣き出す隊員もいた。

その後、病室で、フラッシュオーバーの中、助けた男性が亡くなったことを知る。

伝説の消防士と言われるように

フラッシュオーバーの中、助けた男性が亡くなったことについて高野氏は、
『どんな状態から要救助者を助けようと、その人が亡くなったら助けられなかったのと同じです。』と語る。

その悔しさから必死に救助活動にあたりその後、1000以上の現場で多くの救助を行った。
2007年には小金井消防署 所長に就任し、いつしか「伝説の消防士」と言われるようになった。

20歳で消防士になった高野氏。
「1人でも多くの人を助けたい」との思いから特別救助隊(レスキュー隊)への入隊を強く希望するも
身長165cmと体格に恵まれなかったことから3度不合格。

それでもあきらめず4度目の試験でようやく合格し、念願の特別救助隊(レスキュー隊)へ入隊。
その後、高野氏の熱意から部下たちからの信頼も厚かった。

TVで当時、亡くなった男性について語る高野氏は、本当に悔しい表情であり
人命救助に命をかけた高野氏の人柄が良くわかった。

そんな彼だからこそ、「伝説の消防士」と言われるのだろう。

引用元:ありえへん∞世界2015年1月20日より

ホテルニュージャパン社長横井英樹(よこい ひでき)

一方で、「高級家具を非難させろ」と指示したりスプリンクラーを設置しなかった横井社長は、
火災後、業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受け、1997年に刑期を終えている。

横井英樹(よこい ひでき)社長の生い立ち

第二次世界大戦終結後、GHQの出入り商人となり、1代で財産を築いた戦後を代表する実業家である。
その後、デパートの白木屋(しろきや)の買収を企て、「乗っ取り屋」と言われるように。
その後、ホテルニュージャパンでの大火災で名が知られ、世間から良いイメージはない人物である。

孫のZEEBRAが語る横井英樹社長の素顔

ヒップホップ歌手のZEEBRA(ジブラ)さんは、横井英樹社長の孫にあたる。
少年時代の祖父に対するイメージといえば、「気前のいいじいさん」で慕っていたという。

その後、大火災の後に「殺人犯の孫」と呼ばれて傷ついたことや、
祖父の存在が、音楽活動の原動力になっていることを自伝にて語っている。
(引用元:nikkansports.com)

また、世間ではイメージが悪い一方で横井英樹社長は火災後、犠牲となった台湾人の遺族を生涯にわたり毎年、慰霊のため、
招待し続けたと言われている。(引用元:日本の墓

1998年11月30日に85歳で亡くなっている。


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