NHKの連続テレビ小説2015年9月28日~放送予定の「あさが来た」
江戸時代は幕末を舞台に物語がスタートします。

白岡あさ モデル

出典:大同生命保険株式会社

主人公・白岡あさのモデルとなっているのは、実在する広岡浅子(ひろおか あさこ)です。

銀行や生保を設立した第一人者であり、後に日本初の女子大学(現 日本女子大学)の設立を果たしました。

広岡 浅子の生涯

広岡 浅子(ひろおか あさこ)は1849年10月18日・現・京都府京都市に生まれました。
幼い頃から学問に強い興味を持ちますが、当時「女に教育は不要」と言われていた時代です。
読書を禁じられていたといいます。

17歳の時に、幼い頃より決められていた
大阪の商人である加島屋(かしまや)の広岡信五郎と結婚。

当時、加島屋は明治維新の動乱により家勢が傾きかけていました。
それを救ったのが、妻となった広岡 浅子です。

浅子は、結婚後、独学で経営を学びます。
そして新たなビジネスチャンスをつかむために当時、資源として
注目されていた『炭鉱業』へ進出。

しかし当時は、女性が炭鉱経営などした例などありませんでした。
逸話として「洋装の浅子がピストルを懐に忍ばせて炭鉱に入った」
と語り継がれています。

動乱時代。そしてまだ女性の地位が確立されていない中、
浅子は奮闘し、1897(明治30)年に潤野炭鉱を生まれ変わらせました。

その時の苦労と成功の体験が元となってできた浅子の座右の銘が
「九転十起生(きゅうてんじゅっきせい)」です。

その後、加島銀行(かしまぎんこう)を設立。
大同生命創業にも関わるなど女性実業家として活躍し加島屋は大阪の
有力な財閥となりました。

浅子は実業家としての成功だけでは飽き足らず
成瀬 仁蔵(なるせ じんぞう)『女性にも教育が必要』という考えに
共感し日本で最初の女子大学を設立しようと成瀬とともに奔走します。

様々な有力者に女子大学の必要性を訴え、ついに1901(明治34)年
日本女子大学校(現・日本女子大学)が設立されます。

また、女性運動の有力な支援者となった浅子は若い女性たちへの
教育にも力を注いでいました。

1914(大正3)年~死の前年まで別荘に女性20名ほどを招き
夏期勉強会を毎年開催します。

その参加者としては、同じくNHKの連続テレビ小説『花子とアン』
のモデルとなった村岡花子(むらおかはなこ)も参加しています。

花子は、「自分のためにしたいことに固執せず、
社会のために為すべきことを見つけなさい」という浅子の言葉に
感銘を受け『赤毛のアン』などをはじめとする名作を日本の若い
人たちに届けようと奔走します。

数々の偉業を成し遂げた浅子ですが、
「私は遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と言い残し
1919年1月14日満69歳で亡くなっています。

参考文献:大同生命保険株式会社wikipedia

現在『働く女性』が増え女性が社会で活躍する事が当たり前の時代となっています。
しかし広岡浅子の行動がなければ今の時代はなかったかもしれません。

広岡浅子は『女性が社会で活躍できる世の中をつくる』という上で、
第一人者の一人といっても過言ではないでしょう。

広岡浅子の奮闘ぶりはもちろんのこと、浅子に関わってくる様々な
人々とのやりとりも気になるところです。

ドラマ「あさが来た」では、そういった人と人との関わりの深い部分も
描かれる事でしょう。ドラマ「あさが来た」が今から楽しみでなりません。


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