報道ステーションの顔として知られている
古舘伊知郎(ふるたち いちろう)さんが、報道ステーションを卒業。

最近では、バラエティ番組での
古舘さんの活躍が目立つようになりました。

今でこそ、アナウンサーだけに
「おしゃべり」
「毒舌家」

など、話し上手なイメージがある古舘さん。

しかし、実は少年時代の古舘さんは、
家族では1番無口な少年だったとか。

そこで今回は、古舘伊知郎(ふるたち いちろう)さんの
少年時代と、家族や、早くに亡くなられたお姉さんについて
ご紹介します。

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古舘伊知郎の家族と少年時代


古舘さんは、父・順太郎さんと、母・安也子さん、

そして6つ上の姉・恵美子さんの
4人家族に生まれました。

父・順太郎さんは、大学で弁論部に所属。

政治家を目指していただけに、口数は少なくとも
巧みに四字熟語を使いこなしていたそうです。

そんな父に、家族で1番無口だった古舘さんは影響を受けました。

そして、逆に母親と姉は、とてもおしゃべり。
特に、お姉さんの恵美子さんは、お喋りが上手だったそうです。

反発からアナウンサーを目指す

古舘さんが、アナウンサーを目指すようになったのは、
しゃべることが好きなのに
「喋るのが下手」
だと決めつけられたことに対する反発でした。

また、叔父が、ラジオ時代の大相撲中継のアナウンサーだったこともあり、
その叔父に憧れていたことも大きかったようです。

そして、立教大学在学中に、野球の実況をしていると、周囲にウケて、
「アナウンサーになったらどう」
と友人に言われたのをきっかけに、東京アナウンスアカデミーに通い始めるようになります。

喋りの訓練は母親から

古舘さんは、喋りについてはお母様から特訓を受けていました。
古舘さんが、小学生の頃、
母と話の掛け合いをしており、
母親は、ハリウッドの俳優の名前を200名ほど知っており、
古舘さんはプロレスラーの名前を200名ほど知っていたため、
お互いに得意な分野を言い合っていたそうです。

古舘さんはその後、『ワールドプロレスリング』で
新日本プロレスの実況で有名になります。

姉・恵美子さんの死と相次いだ家族の死

古舘さんには、憧れの存在であった6つ年上の姉・恵美子さんがいました。

恵美子さんは、37歳のときに、ガンが発覚。
3度の手術を受けましたが、1991年に42歳で2人の子供をのこし、亡くなりました。

母親は、毎日
「私が変わってやりたい」
と言っていたといいます。

皮肉なことに、母もガンになり、
姉と同じ病院で、1フロア下の同じ部屋に母親が入院することになりました。

そんな状況に、古舘さんは愚痴をこぼしたそうですが、
父親は愚痴をこぼさない人で、逆に古舘さんをたしなめたそうです。

2012年にお母様が亡くなりましたが、古舘さんは
多忙な中、懸命に看病をされましたが、
実姉の時と同様、仕事で最後を見届けることはできませんでした。

そして、お父様は76歳のときに心筋梗塞で亡くなられています。

(参考:徹子の部屋2014年10月15日

古舘伊知郎の嫁と息子・娘


古舘伊知郎さんは、1987年7月に、JALの元CAの女性と結婚。

娘さんは、成城大学を卒業後、アパレル会社に就職されたようです。
娘さんの下には息子さん古舘佑太郎さんがいらっしゃいます。
(1991年4月5日生まれ)

2008年、佑太郎さんは、慶應義塾高等学校の同級生と、
The SALOVERS(ザ・サラバーズ)というロックバンドを結成し、
ボーカルを担当。

2015年にバンドは、無期限活動休止状態になっています。

まとめ

報道ステーションのアナウンサーとしても、賛否両論のあった
古舘伊知郎さん。

しかし、彼の冷静なトークの裏で、
お姉さまと、お母様の闘病を支えながら、
戦っていた日々がありました。

お姉さまの早すぎる死、立て続けに発覚した、
お母様のガン。

そのショックは相当なものだったでしょう。
しかし、TVに携わるものとして、姉、母親の死を見届けることはできませんでした。

そういった、苦労を乗り越えてこその、
現在の古舘伊知郎さんが居るのだと思います。

報道ステーションを卒業し、さまざまな古舘さんを
TVで拝見しています。

今後も、古舘さんらしいトークでTV業界を盛り上げていってもらいたいものですね。


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