2015年戦後70周年ということもあり、数々のドラマがTVでも放映されている。
筆者は最近、『永遠の0』という映画とドラマを見た。

ある特攻隊で亡くなった1人の男性。彼は恥を忍んでも「生きること」にこだわった。
しかし、彼は志願制である「特攻隊」で戦死。

「なぜ、あれだけ生にこだわった祖父が、志願制である特攻隊で亡くなったのか?」
という真相を知る為、彼らの孫が、彼に関わってきた人々を尋ねていくという物語だ。

『永遠の0』では、特攻隊で亡くなった人々が「喜んで死にます」と遺言書に書いており、
洗脳されていたのではないか?とある記者が戦争経験者の1人に疑問を投げかけている。

そこで彼は

「洗脳?洗脳ではない。本気で、彼らが喜んで死ねると思って書いていると思うか?彼らの文字の裏に潜む本当の心情がわからんのか?記者のくせに本音と建前の違いもわからんのか!」

と発言している。

そこで私は、はっとした。戦争を知らない私たちの世代は、
戦争当時の状況を「洗脳されていた」という言葉で決めつけているのではないか?と思った。

そんな時、わたしは「鉛筆部隊」という存在を知る。
1944年8月東京・世田谷の代沢小学校の児童450人が長野県の浅間温泉に集団疎開した。

児童らは、兵隊への戦意の意欲を高めるための手紙を書く。
「鉛筆部隊」は、その疎開児童を引率していた国語教師である柳内達男氏が命名したそうだ。

まだ10歳前後の子供たちも鉛筆で戦っていたのである。

その鉛筆部隊と特攻隊員が交流を深めていたことを知り、
元鉛筆部隊の人々を訪ねて本を出版したのが「鉛筆部隊と特攻隊―もうひとつの戦史」
の著者・きむらけんさんである。

この本には、太平洋戦争末期の1945年2月~3月に浅間温泉訪れた
特攻隊員と鉛筆部隊との心温まる交流が記述されている。

満州で編成された飛行機隊2隊は長野県飛行場で特攻隊の改装を
することになり、その時「武剋隊」の隊員6名が鉛筆部隊の児童らと
1ヶ月ほど同居し、仲良く風呂に入ったり散歩したりして日々をすごしたという。

児童らは、特攻隊員は敵艦に体当たりすると神様になると教えられていたが、
何故、死ななければならないかは教えられなかったそうだ。

当時、鉛筆部隊であった松本明美さんにあてた特攻隊員・時枝 宏軍曹(20 歳)
の最後の手紙が本の商品説明にて記載されている。

今日、突然出発することになって、こちらへ来ました。
今日は岐阜泊まりです。元気な明ちゃん達とお別れして
急にさびしくなってしまいました。皆さんと一緒に楽しく過ごした
浅間での事をなつかしく思い出しています。もう近く再疎開ですが、
どこへ行っても元気にしっかりべんきょうしてください。さようなら

彼は、この7日後の4月3日に特攻機に乗って出撃し、沖縄沖で戦死している。

本書取材中に特攻隊員の遺墨(いぼく)が新たに見つかったそうだが、

遺墨(いぼく)に記載された「建前」と鉛筆部隊にあてた「本音」との
落差に胸をつかれると記載されている。

引用元:鉛筆部隊と特攻隊―もうひとつの戦史
参考文献:uedakant.sakura.ne.jp

映画・ドラマ「永遠の0」でも、特攻隊員の「建前」と「本音」それらの心情が
描かれている。

彼らの気持ちを考えるとなんとも言えない気持ちになり、
鉛筆部隊へあてた彼らの「本音」の一部を垣間見ると言葉にはならない感情が込み上げて来る。

わたしたちは戦争を知らない。
ドラマや本を見て、「彼らがどういう気持ちだったのか?」という事を考える事はできても
彼らの本当の気持ちなど分かるはずもない。

しかし、戦争を知らない世代だからこそ、「彼らの気持ちはどうだったのか?もし自分だったらどう思うのか?」
と考える事はとても重要なのだと思う。

戦後70年を節目に、わたしたちは再度、戦争について考えなければいけないのではないだろうか。


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