ゴルフの世界で、キャディが同じゴルファーを担当する期間は約5年と言われている。
そんな中、30年以上もコンビを続けたゴルファーとキャディがいる。

ブルース・エドワーズ

出典:davidhwhitejr.com

ゴルファーの名前はトム・ワトソン
トムはアメリカのプロゴルファーでメジャーで8勝・アメリカで39勝を挙げている。

そしてトム・ワトソンのキャディを30年以上務め続けたのが、ブルース・エドワーズ
ブルースは2003年10月20日に『キャディの殿堂』入りも果たしている。

ブルース・エドワーズは、コネチカット州出身で13歳の時に
グレーターハートフォードオープンでディック・ロッツのバッグを担いでキャディデビューを
果たした。

1973年ブルースが18歳の時に、当時23歳であったトム・ワトソンと運命的な
出会いを果たし、トムのキャディとなり後に、親友となる。

トムはブルースをキャディに採用していきなり6位入賞を果たし、
その後、2人で35勝を挙げた。

ブルースは、ゴルフ界では有名なキャディであった。
ブルースは、トーナメントが始まる前に必ずコースを歩く。
そしてヤードを量り、ピンの場所を決めていた。

彼は、ヤーデージブック(コースの距離など詳細を記載したもの)を持っていたが、
それでも、トーナメント毎にコースを歩き
ダブルチェックをかかさない仕事に熱意を持った人物であった。

1989年~1992年の3年間、ブルースはグレッグ・ノーマンのキャディを
するためトムの元を去ったが、その後、トムの元へ戻っている。

そして合計で30年以上、ブルースはトムのキャディを務めたのである。
途中、『落ち目となったトムのキャディでは稼げないから、他のゴルファーの
キャディを務めたらどうか?』という提案もあったが、
ブルースは、トムの元を去ろうとは決してしなかった。

そんな中、2003年ブルースは難病であるALS(別名:ルー・ゲーリッグ病)
診断され余命1-3年だと告げられる。

しかし病気が分かってからもブルースは仕事を続けた。
その年、トムとブルースは全米オープンに出場する事となった。

トムは既に53歳。全米オープンはシニアツアーとは違い多くの若手選手が名を連ねている。
誰もトムの記録には期待していなかった。

そんな中、トムは奇跡を起こす。

彼は、自己最高スコアを出し、初日トップタイとなった。
結果的に28位となったが、まるで優勝したかのように
トムとブルースには観客から大歓声がおくられた。

NBCスポーツにブルースは『トムは僕の為にやってくれた』
と涙ながらに語っている。

さらに、その年のチャンピオンズツアーではトムは優勝している。
トムは、ブルースの病気が分かってから、ALS基金を設立し
現在もその活動は続いている。

ブルース・エドワーズ基金HP→

トム・ワトソンチャリティーHP→

2004年4月8日ブルース・エドワーズは49歳という若さで
亡くなった。

彼の人生は『天国のキャディ―世界で一番美しいゴルフの物語 』という本にもなっている。

参考文献:ESPN/bruceedwardsfoundation/ABOUT.COM

近年、ALSという難病は、ドラマ「僕のいた時間」「アイスバケツチャレンジ」などで
日本でも認知度が高まってきた。
しかし、現在も病の原因は不確かであり治療方法は見つかっていない。

トムは、ブルースと同じ病で苦しむ多くの人々の為に現在も奔走している。
私たちに、今できることは何か?トムとブルースの物語に触れて
1度考えてみたいと思う。


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