300人の父となった山本慈昭の人生|娘との再会・中国残留孤児の父

  

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あなたは、
山本慈昭(やまもと じしょう)という人物をご存知でしょうか?

山本慈昭は、戦争に翻弄されながらも、
自らの信念のもと、中国に残された残留孤児たちと
肉親の再開を実現させた「中国残留孤児の父」と呼ばれる人物です。

彼の人生は、映画「望郷の鐘」にもなっています。

ここでは、
山本慈昭(やまもと じしょう)の人生についてご紹介します。

山本慈昭(やまもと じしょう)の人生とは?

山本慈昭(やまもと じしょう)は、1902年に長野県に生まれました。

その後、8歳で出家し、長野県にある長岳寺の住職となります。

それと同時に、学校の先生でもありました。

1945年、
当時、政府は、満州(中国東北部)への移住を推し進めていました。

その中で、終戦間近、山本が住職をしている阿智村から
満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)の一団「阿智郷開拓団」が送り込まれる
ことになります。

山本は、1年だけという約束で子供達の教師役として
妻と2人の娘を連れて、教え子とともに、満州へ渡ります。

状況が一変

山本はが満州にわたった3ヶ月後の8月、ソ連軍の進行で状況が一変。

逃避行を行うものの、妻子と引き裂かれ、山本は、シベリア抑留の身となります。

シベリア抑留(よくりゅう)とは、歴史の教科書で学んだ方も多いかとおおいますが、
第二次世界大戦の終戦後、シベリアに労働力として移送され、
奴隷的な強制労働を行なわされ、おおくの人々が亡くなりました。

知らされる妻子の死

1947年、奇跡的にシベリア抑留(よくりゅう)から1年半後、
帰国することができました。

妻子との再開を楽しみにしていた山本を待っていたのは、
妻子の死の知らせと、山本と共に満州に渡った阿智郷開拓団215名のうち、
帰国したものは山本を含め13人。

山本の教え子は51人いたが、生存していたのは6人という残酷な知らせでした。

山本は悲しみの中、開拓団たちの辿った運命を
『阿智村・死没者名簿』としてまとめます。

子供達は生きていた

1964年、山本は、せめて仲間たちの遺骨を拾いたいと
中国に渡りますが、許可は得られませんでした。

しかし、その後、なにかで山本の訪問を知った、
中国に残留している日本人から
「日本にいる肉親を探して欲しい。」という手紙が届きます。

まだ、生存している中国残留孤児の存在を知り、
山本は、彼らと肉親を引き合わせることを決意します。

山本は、国に調査依頼をするものの、良い返事は得られなかったといいます。

その後、阿智郷開拓団の生存者の1人が、
開拓団の8割が亡くなったのは嘘だと告白。

子供達の命を救うために、中国人に子供を引き渡し、
帰国した仲間同士で、「全員死んだ」と嘘をついていたのでした。

娘との再会

山本慈昭出典:sbc21.co.jp

山本さんの長女・啓江(ひろえ)さんが満州に渡ったのは、

3歳の時。

中国人に引き渡され、中国人養父母に助けられました。

その後、結婚し5人の子供をもうけ、満州に渡って40年以上かけて、
日本に帰国。

山本さんとは、36年後に、再会を果たしました。

(引用元:中国残留日本人孤児

日中友好手をつなぐ会

山本は、関係者とともに「日中友好手をつなぐ会」を設立。

孤児たちとの手紙のやりとり。
肉親たちへの訪問などの活動を開始します。

国の協力を得られず、資金は関係者たちでやりくりしていました。

そんな中、1972年、残留孤児と肉親との再会第1号が実現し、
NHKの番組でも取り上げられました。

その後、山本たちの努力もあり、厚生省による調査も開始されるように。

広拯会館(こうじょうかいかん)

山本らの活動で、日本に帰国する孤児たちが増えてきました。

彼らの生活を支援するため、長岳寺のそばに、広拯会館(こうじょうかいかん)という
支援施設をつくり、日本語や、生活習慣を孤児たちに教えることとなりました。

それだけでなく、中国で孤児たちに日本語を教える学校をつくるため、
自分の家を抵当に借金をして日本語学校も開校しています。

山本は88歳で亡くなりますが、200人以上の孤児と肉親を再会させています。

その後、「山本慈昭記念館」が設立されますが、
現在は、満蒙開拓平和記念館と統合されています。

満蒙開拓平和記念館についてはこちら→

(参考文献:wikipedia/望郷の鐘

まとめ

住職・先生として生活していた山本慈昭(やまもと じしょう)さんが、
中国残留孤児と肉親を引き合わせることに使命を感じたのは、
もはや運命のような気がします。

山本さんは、自分の人生全てをかけて、
中国残留孤児と肉親を引き合わせる活動に注力しました。

そして、200人以上の引き離された家族が、山本さんによって
再会できたのです。

当時は、戦後で、いろいろなしがらみや、資金不足など
問題は山ほどあったかと思います。

しかし、そんな困難に負けず、山本さんは、堅い信念のもと、
活動を行い、「中国残留孤児の父」と呼ばれるまでになりました。

山本さんの活動は素晴らしいものですが、
それと同時に、戦争の悲惨さを知り、戦争を二度とおこしてはいけない
と思うのでした。


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