ピーター・ノーマン|1968年メキシコオリンピックが彼の人生を変える

  

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1968年に開催されたメキシコシティオリンピック。

メキシコシティオリンピックで、
ある1枚の有名な写真があります。

その写真が下記の写真です。

ピーター・ノーマン出典:wikipedia

写真は、メキシコシティオリンピックの200m走の表彰台を撮影したものです。

左の白人男性が、銀メダリストピーター・ノーマン、中央が金メダリストの
トミー・スミス、右が銅メダリストのジョン・カーロスです。

この1枚の写真は一見、表彰台に普通に立つピーター・ノーマン。
そして、ガッツポーズをするトミーと、ジョンがいるだけで、なんの問題も
ないように思えます。

しかし、この1枚が、3人の運命を変えてしまうのです。

黒人差別に対する抗議のポーズ

1968年当時、アメリカでは、まだまだ黒人への人種差別が続いていました。

黒人のトミーと、ジョンのガッツポーズは、「ブラックパワー・サリュート」
という人種差別に抗議する行為だったのです。

2日の黒人選手は、シューズを履かずに黒い靴下をはいてメダルを受け取りました。

当初、2人は、黒のグローブをつける予定でしたが、
ジョンがグローブを忘れたため、トミーの手袋を2人でつけることとなりました。

当時、会場からはブーイングが起こり、世界中のニュースで報道されました。

そして、2人は、オリンピックから追放され、
長い間、アメリカスポーツ界から事実上追放されることとなったのです。

参考文献:wikipedia

白人・ピーター・ノーマンの勇気

ピーター・ノーマン出典:en.wikipedia

一見、2人の黒人男性だけが、オリンピックから追放されており、
ピーター・ノーマンは、なんの問題もないように思えます。

しかし、オーストラリアの白人男性・ピーター・ノーマンは、2人の
意志に賛同していました。

ピーターは、2人とともに、
人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR)のバッチを着用。

ジョンがグローブを忘れた時に、
片方づつグローブをつけたらどうかと提案したのもピーター・ノーマンです。

ピーター・ノーマンは、その後の記者会見で、

「すべての人が平等に生まれ、そのように扱われるべきだと信じている」

と述べています。

ピーター・ノーマンの苦悩

ピーター・ノーマンは、銀メダルを獲得したにも関わらず、
オリンピックでの抗議に賛同したことで、
地元のオーストラリアから批判され、厄介(やっかい)物扱いされるようになります。

もともと、オーストラリアは白人最優先主義の社会で、
先住民・アボリジニに対する差別も残っており、
有色人種への人種差別がある文化を持っていました。

その為、
ピーターは、オーストラリアのトップアスリートであり、
1972年のミュンヘンオリンピックの予選会で何度も勝っており、
出場できる資格を持っていたにも関わらず、代表に選ばれませんでした。

その後の、ピーターの人生は不遇でした。

1985年、痛めたアキレス腱が壊疽(えそ)し、足を切断する寸前まで悪化しました。

ピータは、その後、うつ病とアルコール、鎮痛剤への依存で苦しみました。

回復した後は、
オーストラリア政府のスポーツやレクリエーションに関わる部門で働きました。

ピーターのオリンピックでの記録は、オーストラリアの記録として
破られていません。

それにも関わらず「100人のオーストラリアの偉大なアスリート」の名前に
ピーターの名前はありません。

2000年に行われたシドニーオリンピックにも、彼は招待されなかったのです。

本来であれば、オーストラリアのヒーローである人物が、
1968年の件で、歴史から抹消されるような扱いを受けたのです。

そして、ピーターは
2006年に心臓発作で64歳で亡くなりました。

オーストラリア政府は、結局、ピーターが亡くなるまで
ピーターに対する行為を謝罪をすることはありませんでした。

葬儀では、トミーとジョンが棺側付添い人を務めています。
ピーター・ノーマン出典:theconversation.com

トミー・スミスは、ピーターのことを
「道徳的で、信念のある男だった。」
と語り、

ジョン・カーロスは、
「彼は、兄弟だ。」
と語っています。

(出典元:theconversation.com/theguardian.com)

そして、ピーターの死後、
2012年にオーストラリアより公的な謝罪が行われました。

そして以下のような文章を発表しています。

・1968年に彼が残した記録は未だ破られていない
・ピーター・ノーマンの勇敢さを認め、敬意を払う(ブラックパワー・サリュートに賛同した件)
・何度も予選に勝っていたのにも関わらず1972年のミュンヘンオリンピック代表に彼を
選ばなかったことを謝罪する
など

(引用元:en.wikipedia.org)

トミー・スミスとジョン・カーロスのその後

ジョン・カーロスは、1968年の抗議で
多くの支持者より賞賛されました。

反対者からは、厳しい反対を受けたものの、
のちにコーチとして、
カリフォルニア州立大学サンノゼ校を勝利に導き、
2005年には、トミー・スミスと表彰台にたつ像がキャンパス内につくられました。

その後、プロサッカー選手としても活躍。
2008年にはカリフォルニア州立大学から名誉博士号を授与されています。

トミー・スミスも、またコーチとして活躍。
1996年にはカリフォルニア黒人スポーツ栄誉殿堂入り。
1999年にはスポーツマン・ミレニアム賞を受賞しています。

マット・ノーマンが叔父の功績を映像化

ピーター・ノーマンの甥であるマット・ノーマンは、
叔父のピーター・ノーマン(Smith Norman)が1968年に行った
ブラックパワー・サルート(Black Power Salute)における
白人の役割とは?そして、ピーターの人生をドキュメンタリー映画「salute」にしています。

ドキュメンタリー映画「salute」のHPは以下よりご覧ください。

映画「salute」(映画)→

まとめ

黒人差別に対して戦う姿勢を見せたトミー・スミスとジョン・カーロスの
勇気は素晴らしく、その功績は世間にも認められています。

しかしながら、ピーター・ノーマンは、2人の影に隠れて、
世の中から抹消されたような待遇を受けていました。

ピーター・ノーマンは白人であり、
人種差別が当たり前であった母国に喧嘩を売るような形で
2人に賛同しました。

ピーターは、他人の意見に惑わされず、
そして、大きな力に屈せず、
「皆が平等に扱われるべき。」という信念を曲げませんでした。

おそらく、トミーと、ジョンよりもきっと勇気がいったことでしょう。

しかしながら、ピーターは信念を貫くことで、
生涯、母国からは、厄介者(やっかいもの)扱いの待遇を受けました。

しかし、甥であるマット・ノーマンは、ピーターの「信念」を伝えるべく、
映画化に踏み切りました。

そして、残念ながらマット・ノーマンは亡くなったものの
私たちに大きな影響を与えています。

彼は、オリンピックの英雄とはなりませんでしたが、
今後も、語り継がれる歴史的「英雄」になったとのだと思います。


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