母親がすい臓がんで亡くなったのは今から約1年半前。がんが見つかった時はすでに手遅れで
半年もたたない間にあっという間に亡くなってしまいました。
最近、「母ロス」という言葉が話題になりました。
母の死から立ち直れない娘たちが、増加しているそうです。
それだけ今の日本では、母と娘が「親友」のように仲が良い関係を築いてる証拠でもあります。
実際、わたしも、母とは何でも話せる関係でした。
もともと、そんな良い関係ではありませんでしたが、わたしが「うつ病」を発症したのをきっかけに
仲が深まったように思います。
親友にも話せない話を母は、いろいろと聞いてくれて毎週末、実家に帰って母と話すのが楽しみでした。
しかし、小さい頃から頭の片隅「母が死んだらどうしよう」という不安がありました。
この世で1番恐ろしいのは「母の死」で、特にうつ病の経験のあるわたしは、母に
「お母さんが、早死にしたらわたしも死んでやる。」などと言ったものです。
母が亡くなる前
そんな私が1番恐れていたことが起きたのは、突然でした。咳がなかなか止まらない母は
病院に行っても「原因不明」だと言われ、挙句の果てには精神安定剤を出される事に。
知人のすすめでセカンドオピニオンで行った病院ですい臓がんだと分かりました。
すい臓がんが分かり1.2ヶ月は一般病棟で軽めの抗がん剤治療と、放射線治療を
行ないましたが、あっという間に体はやせ細り体力がなくなりました。
人間ってこんなにも早く弱る事ができるものか?と思う位、あっという間に母は弱っていきました。
一旦、一時帰宅ができましたが、2週間も経たないうちに再入院。その2週間後には
緩和ケア病棟へと移りました。
ある日、起き上がることすら、ままならなかった母は看護婦さんとわたしに支えられて
自分でトイレに行きました。
「もう、これが自分で行ける最後のトイレだ。」と母が言いましたが、
その通り次の日から、すでにベットから起き上がることなど不可能な状態になっていました。
母は、モルヒネ投与をしていましたが、幸いにも、あまり苦しまずに亡くなりました。
しかし、父の話では、父が「頑張らないといけないよ。」と言った際、もともと強気な母でしたが
「なんで、頑張らないといけないの?」と弱音を吐いたそうです。
闘病中、「なかなか人間は死ねないもんだね。」と母がつぶやいたことがありました。
きっと母は、生きる望みもない。ただ死ぬのを待っているのに、なんでこれ以上、しんどい思いをして頑張らないといけないのか?
という気持ちだったのだと思います。
ちょうど、わたしの誕生日の前日に危篤状態になり家族はかけつけました。
次の日、わたしの誕生日の日に亡くなってもおかしくない状態でした。
誕生日当日、病院のコンビニでケーキを買って食べた事を母に告げるともうろうとする意識の中、
「良かった」と一言発し、昏睡状態に陥りました。
その言葉が母の最期の言葉となりました。しかし、娘の誕生日を命日にしたくなかったのでしょう。
なんとか頑張って、私の誕生日の次の日の昼に亡くなりました。良く晴れた日で、眠るように亡くなりました。
母の亡くなった後
葬儀前後は、脳から何か特別な物質が出ているせいか悲しむ間もなく時間が過ぎていきました。
わたしは、母が亡くなった直後が1番悲しいのだと思い込んでいたので意外でした。
しかし、悲しさというのは時間が経つほどに込み上げてきます。
わたしは、1人暮らしも長く、母が亡くなる前も別に住んでいたので、時間が経つと
母が亡くなった事を一瞬、忘れているのです。
そして、何か母に話したい出来事があると電話していたので、電話しようと思うと
「あ、そうだ。もうお母さんいないんだよな。」
という何とも言えない悲しみが押し寄せてきます。
わたしの場合、母の死後、昼は普通に仕事をこなせていたと思います。
しかし、2-3日に1回は夜になるとふと寂しさが襲ってきます。
夜、号泣しては眠りについて、また普通の生活を送る。そんな日々が続いていました。
感情面の変化として、私は独身で彼氏もいませんでした。
しかし、もともととても惚れっぽい性格です。恋をしていない時がありませんでした。
しかし母の死後、男性に対してはもちろん、人間に対しても何の感情も抱くことがなくなりました。
でも普通の生活が送れたのはこの「無感情」のお陰だったのかもしれません。
人間は、親しい人の死後、普通の生活を送れるように脳が働くという話を聞きましたが、
わたしの場合は「感情を抑える」ことで普通の生活が、なんとか送れたのだと思います。
それでも、今まで「家飲み」なんてしなかった私が、「酒」に頼るようになり
「暴飲暴食」をして寂しさを紛らわす日々が続きました。
幸い、昔、うつ病を患っており「スポーツ」をすることで症状が大幅に改善した経験もあり、
スポーツを積極的に行うようになり酒、暴飲暴食の回数は減りました。
しかし、母の死から1年半経った今でも、酒に頼る事は今でもあります。
でも、今こうしてブログに母の死について語れるということは、少しは母の死から立ち直れたのかもしれません。
母の死から立ち直れなくていい
「母の死から立ち直れない」それは、悪い事ではないと思うし、立ち直れなくて当たり前だとわたしは思います。
よく、お子さんを亡くされた方が、「もし娘、息子が生きていたら今頃、あんな中学生になっているんだろうな。」
と思うという話を聞きます。
母が亡くなった場合だって同じです、80歳くらいのおばあちゃんが元気にお散歩していたら
「お母さんも生きていたらあんな、おばあちゃんになっていたのかな?」と思う事が度々あります。
わたしの母は69歳で亡くなりましたが、もっと若くに母親を亡くされた方は、そういった想いも強いのではないでしょうか?
母の死から立ち直るのではなく、どう母の死と向き合い付き合っていくか?それが大切なのではないでしょうか?
わたしは、母が亡くなってから不思議と、母の言っていた小言が頭に入ってくることがおおくなりました。
例えば、部屋のドアを閉めようとするとき「ちゃんと、閉めないといけないでしょ。」「静かに閉めなさい!」
など母の声が頭にひびきます。
母が、生きている時は、そんなことなかったのにとても不思議です。
母は亡くなりましたが、母が教えてくれたことは、きちんと私の記憶に残っているし、
わたしの記憶に母は生きています。きっとこれからも、「こういう時、母親ならこう言うだろうな。こうするんだろうな。」と思うのだと思います。
それって、母はいつも自分の身近にいるということですよね?
死にたいと思う事
母親を亡くして、うつ病になり「死にたい」と思う人も多いでしょう。実際に亡くなられた人さえいます。
わたしも、母親の死が原因ではありませんが、うつ病だったのでその気持ちはよく分かります。
でも、よく考えてください。あなたの大好きだったお母さんは、あなたの事も大好きだったはずです。
お母さんはあなたの死を望むでしょうか? 絶対に、そんなこと望みません。
ただただ、あなたが幸せになってくれることを望んでいます。
わたしは、お母さんが亡くなってうつ病になってしまってもいいと思います。
ムリに立ち直らなくていいし、とことん泣いて泣いて悲しんでいいと思うんです。
死にたいと思う事もあってもいい。でも、どうか本当に死ぬことだけはやめてください。
わたしはあなたのお母さんではないですが、あなたのお母さんに代わって言いたいです。
「ぜったいに、生きて幸せになってください。」
そう思えるのは、わたし自身、うつ病で自殺未遂を何度も行い、父と母の
「娘に生きて欲しい」という強い気持ちを痛いほど感じたからです。
父と母は、私が自殺未遂を繰り返すたびに陰で泣いていたそうです。
きっと親は生きていても亡くなっていても「子供に生きていてほしい・幸せになって欲しい」そう願うものだと思います。
最後に
母ロスといってお母様を亡くされて立ち直れず、中には「死にたい」と思われる人もいることを
知り、自分の経験が少しでも役に立てばと思いこの記事を書きました。
母親の死から完全に立ち直る事はできませんが、時間とともに悲しみは少なくなり
「母親との想い出」を懐かしむ時間が増えてきます。
そして母の肉体はなくとも
「母は自分とともに生きている」そう感じることができる日は必ずきます。
そして、亡くなったお母様は、あなたの健康と幸せを願っていることを忘れないでください。
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